フィジーウォーター誕生秘話

1971年-
カナダ生まれの大富豪、デイヴィッド・ギルモア(David Gilmour)はジェット機で南太平洋を旅行中、絵画のように美しい島を発見した。島の名は、フィジー諸島ワカヤ(Wakaya)。 息を飲むほどの美しさにデイヴィッドは思わず言葉を失った。それは、彼が長年夢描いていたまさに理想の島だった。 「なんと美しい島だ」。ワカヤ島にすっかり心を奪われたデイヴィッドは、翌年100万ドルで島を購入。 ワカヤ島は、その後20年にわたってデイヴィッド家の避暑地となった。


フィジーウォーター誕生秘話


一方、デイヴィッドにはエリン(Erin)という一人の娘がいた。 エリンは生まれながらにして裕福に育てられたが、貧困に悩む人たちに手を差し伸べるような優しい心の持ち主だった。 幼少期に滞在していたワカヤ島を深く愛していたエリンは、将来はフィジーで教育活動を行い、貧しくも明るいフィジー人のために力を尽くしたいと考えていた。 実業家のデイヴィッドはそんなエリンの考えに反対し、カナダで勉学に励み、ともにカナダで生活するよう説き伏せた。 父親思いのエリンはその考えに従い、カナダで生活を送ることに納得した。


そんなある日、デイヴィッドを悲劇が襲った。 教育のためカナダのトロントに送り出していたエリンが、アパートで何者かによって刺し殺されたのだ。 カナダで教育を受けさせた結果の出来事に、デイヴィッドはひどく自分を責めた。 「なぜ私は娘のことを理解してやれなかったのだろう?」 「ビジネス中心の生活を送っていた私は、本当に娘を幸せにできていたのだろうか?」


フィジーウォーター誕生秘話

エリンの死後、デイヴィッドはワカヤ島に閉じこもり、自問自答を続けた。 「これからの人生、私は一体何をするべきなのか・・・。」 長い間悩み続けた結果、彼はエリンが望んでいたことをしようと決意した。 エリンが望んでいたこと。 それは、貧困にあえぐ人々を教育し、彼らの自立を支援することだった。 デイヴィッドは悲しみから立ち上がり、慈善活動をスタートさせた。


まず始めに、盲目の子供たちのための学習センターをバハマに設立した。 そしてWakaya Schoolを立ち上げ、フィジーのいたるところに幼稚園を設立した。 現在フィジーで最も豪華なリゾートして知られるようになった、Wakaya Club (The Wakaya Club & Spa)の収益は、その多くをフィジーの学校改善に充てることにした。 また、Wakaya Clubで働くスタッフのためにビレッジを作り、彼らの子供たちの学費を支払った。 「私に子供はいないが、代わりに他の子供たちの面倒をみる。教育こそが私の情熱だ」。 彼は再び生きる希望を取り戻していた。


そんなある日、デイヴィッドはWakaya Clubに宿泊しているゲストが、外国から持ち込んだボトル飲料水を飲んでいることに気がついた。 「フィジーは綺麗な海に囲まれた島で水源もあるのに、なぜ外国の水を飲む必要があるのだろう?」 「フィジーを訪れたゲストのために、美味しくて安全な水を提供することはできないだろうか?」 こうしてデイヴィッドは理想の水を求めて動き始めた。


フィジーの島


フィジーの島々を調査した結果、ビチレブ島に生い茂る熱帯雨林近くのヤンガラ渓谷という一帯にたどりついた。 ヤンガラ渓谷一帯の地下水にはシリカと呼ばれるミネラルが豊富に含まれており、シリカには免疫力を高め、高齢化の影響を弱める作用があることが判明した。 デイヴィッドはさっそくフィジー政府との間で、ヤンガラ渓谷一帯の土地の長期リース契約を行った。 こうして飲料水を製造するための施設が建設され、1996年、フィジーウォーターが発売された。


発売されると同時に、Wakaya Clubを訪れたゲストたちの間でたちまち評判の水となった。 やがて北米の大勢のバイヤーたちがフィジーウォーターを飲み始め、その動きはヨーロッパやオセアニアなど世界各国に広まった。 これによりフィジーでは新しい雇用が生まれ、国全体が大きく活性化した。


デイヴィッドは、フィジーウォーターの販売によって得た利益をフィジーの教育プログラムや奨学金制度の設置のために使うことを決めた。 1998年、フィジーのマラ大統領はこれらの功績を評価し、デイヴィッドに"The Order of Fiji(フィジー勲章)"を授与。その栄誉を称えた。 現在ではフィジーウォーターは、多くの人々から愛されるミネラルウォーターの代表的ブランドへと成長している。


そして2010年夏-
エリンとデイヴィッドの想いを乗せたフィジーウォーターは、日本に本格進出する。


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